壇洋一ブログ

2014.9.9

面の坂の刑

 

面の坂といっても誰も分からないと思いますが、今から413年程前のお話です。

関ヶ原の戦いで西軍についた元柳川城主である宗茂と正室である誾千代姫は柳川城を

立ち退き熊本県の腹赤村と高瀬に幽閉されることになりました。

その夫婦にこっそり物資を送り続けた大庄屋の壇・樺島が慶弔7年の夏(1601年)農民の格好で

関所を通過するとき多くの侍に捕らえられました。

 

このことはその日のうちに、駿馬により、そのあと柳川城にはった城主に知らされました。

 

次の日、私の先祖である壇家と樺島家の主と息子は磔刑と斬首刑で殺されました。

関ヶ原の次の年は、まだまだ不穏な空気が漂っていた時期で、反乱を恐れた城主は

見せしめのために時間をおくことなく殺したのだろうと本には書いてありました。

余談:それ以降の立花宗茂は流浪の旅をして20年後、柳川城に返り咲きます。

    誾千代姫は、日本で女傑の姫として、TVのヒストリアで詳しく紹介されていました。

    最後は幽閉先で病死したのか、自殺したのかは不明です。

 

千寿の楽しい歴史でこのことはご紹介されています。

こちらのHPを参考に!

http://kusennjyu.exblog.jp/13970925/

 

つづき

 

 

 

 

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