2021.2.10
古の史実 面の坂の事件に纏わる、糧米を運んだ道
今、柳川と久山町の地元では、戦国武将の立花宗茂と正室の誾千代の大河ドラマ
誘致運動が盛んですが、1600年の関ヶ原の合戦で西軍について敗戦した
立花宗茂・誾千代は加藤清正の執り成しで柳川城を出て、宗茂は熊本県の高瀬に、
誾千代は今の高瀬から数キロ先の熊本県玉名郡長洲町腹赤に蟄居されることになります。
当時、大庄屋であった樺島家と壇家(私の先祖)は宗茂夫婦ともに並々ならぬ
関りがあり幽閉されてからも百姓の姿に身を隠し、今のみやま市から関所を越えて
長洲町腹赤まで定期的に糧米を運んでおりました。
しかし、運命の夏の日、密告によるものかは定かではありませんが、
いつのもように糧米を運んでおりましたが関所を越えるとき、ご法度の糧米で
あることが分かり、ことの重大さを感じた城主(田中吉政)は樺島・壇親子並びに
親族に至るまで磔刑や打ち首にした大事件。
*詳しくは庄福ビックサイトへhttp://shofuku.nobushi.jp/dansyouya.html
この顛末はその後も続きますが、今回は糧米を運んだ順路についてお話します。
昨日は以前から思っておりましたが、樺島彦左衛門と壇七郎兵衛が
命をかけて糧米を運び続けた経路を歩いてみたいと思っておりましたが、
延び延びになりやっと実現しました。
当時の南関道+長洲道を歩きました。
約30キロの道のりですが、スタートは、みやま市の松延城の近くの旧樺島家周辺から、
大根川を渡り、磔刑や打ち首があった面の坂を通り山川町を過ぎて、関所がある
松風の関所跡が九州縦貫道脇の薄暗い山道を登りきった所にありました。
松延あたりから清水山系 大根川
面の坂(別名:首切り坂) 松風の関所はこの上
国堺の関所を越えるといくつもの低い山を交わし南斜面に開けていきます。
南に向かって歩いて行きますから樺島・壇も緊張する関所を越えて晴れやかな
気持ちで誾千代のもとに向かったと思われます。
関所を過ぎて暫く歩いたところに3メートル程の国堺を表す境界石がありました。
これは新し発見です。
この辺は当時を想像できる雰囲気があります。
14キロくらいは旧薩摩街道をひたすら腹赤に向かいました。
南関から玉名郡長洲町までは関川に沿って南西に向かってひたすら歩きますが
足も疲れて、マメができ大変な思いをしましたが、彼らのことを思うと
簡単に止めることは出来ませんね![](https://www.home-land.co.jp/wordpress/wp-content/plugins/typepad-emoji-for-tinymce/icons/08/sweat01.gif)
まだか、まだかと思いつつ16時前に目的の場所である長洲町腹赤に着きました!
食事時間を除いても7時間30分かかり誾千代のお墓に到着しました。![](https://www.home-land.co.jp/wordpress/wp-content/plugins/typepad-emoji-for-tinymce/icons/08/sweat02.gif)
今でもこの地域の人々にで慕われているようで新しい生花とお茶を
お供えしてありました。![](https://www.home-land.co.jp/wordpress/wp-content/plugins/typepad-emoji-for-tinymce/icons/07/happy01.gif)
私も車では何度か来ましたが、丁重にお参りして帰路に着きました。
帰路は一歩も歩きたくありませんから、タクシーと鈍行列車で瀬高駅に戻り
駐車していた車で福岡に帰ってきました。
誾千代姫がこの地で蟄居中に自殺?病死?したのは、壇・樺島処刑のすぐ後で、
いかに彼女にとっても辛い出来事だったかは容易に想像できます。
それにしても、壇七郎兵衛と樺島彦左衛門定期的に荷車を引いて30キロ先の地に
物資を運んだことは大変な危険と苦労が伴ったことでしょう..
歩いてみただけで大変さがわかりました。![](https://www.home-land.co.jp/wordpress/wp-content/plugins/typepad-emoji-for-tinymce/icons/08/sweat01.gif)
今回は同じ道を歩いてみたことで、どのような場所をどのような気持ちで歩いていたのか?
少しだけでも感じ取れたらと思い決行しましたが、現代と古の時代では感じる部分もずいぶん
違うでしょう。
事件当時は関ヶ原の戦いのすぐ後で世の中は不穏な空気も流れていて、増税などで
過剰な使役のよる不満は、常に農民一揆の誘発因子でもあり、一揆を指導するのは
地侍的土豪階級の大庄屋であった。そのために田中吉政は大庄屋抑制と不穏分子の処罰を
意図的に行ったと推測されると書籍には書いてありました。
2月下旬に、知人と今度は原赤から長洲道、三池道を歩くように約束していますが
友人は歩きたいみたいですが、私は今回歩いてみて苦労しましたからあまり気乗りしませんが..
全工程を歩けば私も気が済むかなと思う気持ちもあります。
それではまたご報告します。
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