壇洋一ブログ

2022.4.5

壇・樺島家の歴史(1)

以前、私のブログ(壇の軌跡)で紹介していましたが、時は戦国時代末期に遡ります。
関ヶ原の合戦のすぐあと、徳川家康の東軍が勝利しましたが、世の中は不穏な空気に
包まれている頃に起こった南筑後(今のみやま市)の壇・樺島家の事件です。
関ヶ原の戦いで西軍についた戦国武将の立花宗茂と誾千代姫は、敗戦して柳川城を明け渡し
熊本の加藤清正の領地に蟄居することになまりましたが、生活は厳しく質素な毎日をおくる
手立てかありませんでした。
宗茂の柳川城時代には、壇家と樺島家は元々は土豪(地侍)でしたが、柳川藩の大庄屋として
藩の財政と統括に貢献していました。
 そういう意味では、藩主の宗茂公には大変な恩義があったようです。

 

藩主が城を明け渡し蟄居生活していることを不憫に思い、壇と樺島家は百姓に身を隠し糧米を
関所を越えて熊本の高瀬の(宗茂)と腹赤村の(誾千代姫)に今の長洲近くまで運んだのです。
あるとき、同じように糧米を運んでいるとき、密告があったのかは定かではありませんが、
北の関の関所で捕らえられてしまいました。
その知らせはすぐに駿馬により、立花宗茂の後に柳川城主になった田中吉政に届けられました。
関ヶ原の合戦の後の不穏な空気が漂う時期でもあり、ある意味、不穏分子の反逆の切欠になる
ことも恐れたのでしょう。
 翌日、両家の親類縁者諸共、磔刑、打首、切腹でお家断絶にさせられました。
それから、約20年後、立花宗茂は異例と言える再封を果たしたのです。
勿論、壇家・樺島家も再興することになりました。
再封後の話はこのサイトに詳しいことは掲載されています。
庄福BIGサイト南築後の歴史    http://shofuku.nobushi.jp/dansyouya.html
壇・樺島家の歴史(2)はそれから約420年後の現代の話です。

 

 

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