壇洋一ブログ

2014.9.11

面の坂での出会いと別れ-3

面の坂は、今の福岡県みやま市山川町に入る坂道の途中にあります。
昔でいう薩摩街道は、狭いところでは1.8mほどの道です。
斬首刑・磔刑の場所は昼間でも薄暗い竹やぶの小道で、恐らく昔も
このような雰囲気だったんだろうと思われる場所です。

8年ほど前、太宰府市の住んでいた私は、母の命日に死んだ愛犬を
実家に埋葬するためやってきました。
日あたりの良い場所に埋葬しました。

それから、ふと面の坂のことが頭をよぎりました。
その当時、私は面の坂で磔刑が行われた場所が特定できませんでした。

その場所を知りたくて、近くまで行き、うっそうと茂った竹やぶの近くに佇んでいました。
それから、近くに止めた車にもどり面の坂のことを書いたれ本を見ていました。

すると、向こうの方から革ジャンを着た中年の紳士が探しものでのしているように
やって来ます。
ひょっとしたら、あの人が知っているのかもしれないと思い声をかけたのです。
その時、私は「面の坂の刑」書籍を持っていました。
その人はその本をみて、不思議そうな顔をして、「檀さんですか?」と声を掛けてきたのです。
私は「そうですが、あなたは樺島さんですか?」と迷わず返答しました。

お互いの感が当たりました!
1601年の先祖の無念の死から400年余り….、遠い先祖の私達が出会ったのです…。
お互いに名前が判ったのは書籍のおかげです。

彼もゴルフ帰りに、面の坂の場所を特定するため立ち寄ったそうですが不思議なことです。

それから、彼と一緒に場所を探したのですがよく判らなかったので、その村の長老のお宅に
お邪魔しました。
すると、どうでしょう!そのお爺さんは私たちと私が持っている本をみて、「檀さんと樺島さんですか?」
と声を掛けてきたのです!
その人は、唯一、その村で面の坂の歴史を知っている生き証人で、面の坂の刑の著者を
その場所に案内した人だったのです。

そのお爺ちゃんは、農作業をしていて、最近畑にでると、面の坂のことが頭をよぎるそうで、
「何かあるのかなあ?」と思っていたそうです。

3人が初めて出会い、名前を名乗ることなく判るということはどういうことなんでしょうか!?
この時起こったことは偶然で済ますことはできません….。必然なのです!
そのお爺さんに面の坂を案内してもらいました。
その後、椛島さんとも別れましたが、会うべくして会った人ですから、またその時には
会えるんだろうと思い連絡先などは聞きませんでした。

それからの私の考え方は少し変わりました。良いことでも悪いことでも起こるべくして
起こったことと思えるようになりました。
そこには何らかのメッセージがあるのかもしれません….。

去年、そのお爺さんのお宅に訪問したら、車で温泉に行く途中、正面衝突で事故死した
そうです…。
この事故を必然と考えるには無理がありますが、何で死んだんだろう?と
今でも考えることがあります。
彼は80歳ほどの年齢でしたが、明るく元気なおじいさんでした!
ご冥福をお祈りいたします。
これで、このことを知る近くの生き証人はいなくなりました…。

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