壇洋一ブログ

2014.10.2

面の坂の刑 9

 

みやま市には壇の性を持つ人が多くいます。

 

明治維新になって氏姓制度ができ、国民は氏姓名乗るようになりました。

そういう訳で、みやま市の壇は我が家から始まっております。

みやま市役所のHPから画像をお借りしています。清水寺 

壇の性を持つ人は、私と同じように壇の歴史に興味があり、いろいろと

協力してくれます。

 

以前にもお話しましたが、400年ほど前の先祖の墓がどこにあるのか不明で

私も、まだ探しておりますが、最近、私の友人から連絡があり、死刑にあった

壇親子の墓ではないけど、本郷村の中に11人塚というものがあるとのことです。

 

予想されるのは、慶長7年の面の坂の刑で、親子の処罰以外に関係した人が

処罰されたのではないのかという説。

 

それが分かったのは去年、国土調査時に、以前の字図に記されている塚という文字と

現地にあるだろうと思われる塚石。

 

そして、昔からその場所を足で踏んではいけないという村人の言い伝えがあった

そうですから可能性は高いと思います。

 

その当時みやま市は、関ゲ原の戦いで勝利した田中吉政が藩政を行っていました。

私の先祖は田中吉政からすると罪人ですから、公にお墓をつくることは憚られた

ことが考えられます。

 

その証拠に、11人のお墓は一か所ではなく村の至る所に点在しているそうです。

当時の関ヶ原の合戦以降、数年は不穏な空気が漂っていたと書かれていますから

村人が処罰を恐れて、不運の死を遂げた関係者の墓を分散させたのだろうと

推測しています。

 

いつか休日にその塚を見てみようと思っております。

それが事実であれば、日本古生物学会のNさんにも話してみようと思います。

Nさんは中世のお城を探すのに、壇家のお墓の場所が判れば城の場所の特定が

できると言っていましたので、関係者の点在した墓で壇親子の墓のおおよその位置が

判るかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

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