壇洋一ブログ

2014.9.22

かけがえのない自然 7

 

豊臣秀吉の時代ですから1500年後期になりますが、秀吉の朝鮮出兵で全国の大名は

佐賀の名古屋城周辺に陣屋を設け朝鮮出兵に備えました。

立花宗茂も同様に朝鮮に渡りました。四面楚歌の加藤清正を救った話もこの頃です。

最終的にには、秀吉の病気もあり出兵は失敗に終わりましたが、日本に持ち帰った多くの

ものの中に白黒の模様がある勝ガラスを持ち帰りました。

 

そのカラスは佐賀平野を中心に今でも住み着いています。

 愛嬌があり鳴き声がカチカチと鳴くことから、縁起が良い鳥として

持ち帰られたと言われております。

私の田舎でも庭先によく飛んできました。

オスメスの2匹で移動し、なんとも可愛いカラスの仲間です。

 

私の田舎には数年前の北部九州豪雨でメデイアにも取り上げられた

矢部川があり、河川の松林は朝鮮松原と言われていました。

朝鮮に出兵した立花宗茂が持ち帰って植樹したと言われています。

その矢部川から八女方面に松原を望んだ日本画が柳川の歴史資料に

保存されています。

 

柳川市が編纂した歴史書にはその日本画と、当時の様子が記述されております。

その書によると、松原の言い伝えに加え、当時、柳河藩のお狩場的な場所であった

私の田舎(現在:みやま市本郷)には、太古の自然があったようで、

宗茂一行は、家来を引き連れ、この矢部川で鮎とりに興じたそうです。

そして、一日の漁で2000匹ほどの漁獲量があったそうで、

その魚は、侍と、その村人に分け与えたと記されています。

それにしても、2,000匹の鮎が一度にとれるとは驚きです!

そのように、自然豊かな時代が古の日本にはあったんですね~

 

今、豊かになった日本人は、高度成長の時代を経て、質を重視するよう

になってきました。

仕事で疲れたとき自然に触れたいと思う人は多いでしょう。

だから、石や土、空、水、緑(ガーデニング)などに癒しを求めるように

なったのでしょうか……。

 

 

 

 

 

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